日別アーカイブ: 2011年6月13日

お父さん、ありがとう~♪

戦争が間に入り、幼くして2人の娘を亡くした後の末っ子として生まれてきた私をまるで孫のように可愛がってくれた父がいた。


九州男児の典型のような人だったけれど私にはとても優しい父だった。
夕方になると「散歩に行こう~」と連れ出され、商店街で「何でも買ってやる」と言われて困ったことも思い出す。
「お前が男だったら良かったのに~」とよく言われた(@_@;)
自分の意見を口にした時かな~?・・なかなか良い事を言っている、
と思ってくれたと・・・思いたい(笑)


 


どちらかというと父親のようにいろいろ教えてくれたのが15才年上の兄だった。
若くして肺結核になった兄は家でラジオを作ったり、熱帯魚を飼ったりしていた時期があった。
部品の真空管を秋葉原まで一緒に買いに行ったり、熱帯魚の生き餌を捕りに近所の溝を探ったり。。。
まるで腰巾着(もう言わない?)のようだと母に笑われた(笑)


トランジスターよりも前の時代のラジオやレコードプレイヤ-だから
組み立てや修理には頭を使う♪
金槌の下に指を出して血豆を作ったこともある・・今でも指先に
その後が残っている。


 兄のお陰で少し電気や機械の知識を得たのかもしれないし、
熱帯魚のために冬には電気で温めたり、真夏には水槽に氷を入れて
暑さを凌いであげる・・命の大切さも学んだ。


 


三人目は夫の父・・・父自身、田舎を出て東京市の職員となり、
戦中に先に疎開をした家族を追って田舎へ帰ったのだったが、
大学から東京へ出た息子が勝手に決めた嫁を受け入れて下さった事に感謝している。
田舎のしきたりを知らない都会の嫁に周りの反対も多かったことだろう。

東京時代、習字を教えていた事もあってとても美しい字を書かれた。
ご自身のお墓の字も本人の手になるもの。
我が家にも父の字の掛け軸がいくつかある・・母が生前、
「持っていきなさい、遠慮していると、みんな姉達のところへいってしまうよ」と言って持たせてくれた物である。
横浜の家も土地を購入した時に見て、「富士山が見えて良い所だなぁ~」と喜んでおられた。
二階からになってしまったけれど今でも見えますよ~富士山♪
口数の少ない人だったけれど、暮に田舎に帰ると台所で
鍋で「田作り」を炒っていた姿を思い出す。


 


そして最後に・・・恋人であったり子供のようであったり
ある時は父のようにも接してくれたのが夫だった。
世の中の解らないことがあると夫に質問していた。
たいていは答えてくれたけれど、知らない事を聞かれた時には
「なんでも俺が知っているとは思うな」と機嫌が悪くなる。
素直に「それは知らないな~」と言えばいいのに~。。。 
今はコンピューターに聞いていますよ~♪(笑)


 


守り育ててくれた四人の父(^_-)-☆
みんな、空の上から見守ってくれている。


「お父さん、ありがとう~♪ 」


 


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